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はじめに 米沢牛の味噌漬とは? |
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米沢牛の味噌漬の謎 |
牛肉の味噌漬はどのようにして生れ、そして今もどこにでもあるのか? 話の発端は、米沢牛の加工品の新商品開発の会議から出てきました。 鷹山公まつりのワークショップ2000に米沢牛のことを出そうと。 そこで些細な一言から非常に盛り上がりました。「なんで米沢牛の味噌漬ってどの店もあるんだべ?」 「いづからあんなや?」ある日の会議の模様をご紹介します。 |
1、なんで味噌漬が生まれたか? 牛肉の味噌漬は何で生まれたか?話をまとめると、簡単に言えば 保存食の意味合いが大きいということらしい。 冷蔵庫のない時代の、昔の人の知恵だったのでしょう。 しかし、冷蔵庫やクール便が普及した現在も製造され売られています。 しかも冷蔵庫に入れられて・・・。 |
2、ルーツは? 米沢牛の某牛肉店の店主の話。 『今から約100年前、東京のとある大富豪が言ったらしい。 「松阪肉と米沢肉を東京で同時に食べ比べたい。」 その一言が味噌漬を生んだとか。 当時はクール便など存在しなく、それぞれ食べに行ったら同時には食べれない。 そこでその東京の大富豪は味噌に漬ければ日保ちがするだろうということで、 松阪の牛肉店と米沢の牛肉店、うちの先祖に牛肉の味噌漬を作らせて送らせたとか。』 |
3、どうやって広まった? 別の米沢牛の牛肉店の店主の話。 『その話をうちの先祖が聞いて、「これはいける」ということで真似したんだよ。で店のゆかりの名前をつけた。』 『うちもだ』 『うちも』 |
4、味噌と酒粕のブレンド? 『味噌だけだとしょっぱかったから、酒粕を入れたんだ。』 『いや逆と聞いているぞ。味がもうちょっと。だから味噌入れたんだ。』 確かに漬物や漬けた魚はあります。 真実は如何に。 |
結論 明治初期に米沢牛が食用にされてからかれこれ百数十年。 その子孫達の会話では真実は探る事ができませんでした。 現在、その事に触れる文書を各店舗で探しています。 米沢牛の味噌漬。 生れてから100年が経ちますが、今もなおその味は全く改良されないまま引き継がれています。 そして誰もなんの疑問を持たないまま、米沢の特産品として製造し販売しています。 100年経った今、そのルーツが解き明かされようとしています。 でも牛肉の味噌漬、はっきりいって珍味です。 |
その数日後・・・米沢牛の味噌漬の由来がわかりました。 |
「米沢の特産品、米沢牛の味噌漬(粕漬)の由来」 この前のトキワ漬けの件ですが、まず当社の創業が明治27年としておりますが、 他の商売と冬場に肉屋もその以前よりしており、屠蓄場で検査(行政)をし始めたのが明治27年ということで、 その年を創業としております。 その頃に東京の慈恵医科大病院に米沢出身のお医者様、高橋達之助様(中条病院の親戚の方)がおりました。 日本全国から医者になるために上京していたようです。 その仲間内でお国自慢をしていました。そこで米沢牛(登起波の牛肉)はうまいと自慢しておりました。 しかし、集まってくるのは日持ちのいい物です。当時は米沢東京間蒸気機関車で丸一日以上かかり、 流通はとても時間がかかりました。そこで依頼があったとき魚の粕漬けの要領で造ったものの、 日保ちがしないということで味噌を入れるようになったようです。そして東京に持っていきみんなに食べさせ喜ばれたと聞きました。 それから米沢で公に広告をして売り始めたのが大正元年だそうです。 当社においてもカタログには大正元年創製としております。 その後、大正14年10月13日に皇太子様に献上した事により有名になったようです。 昭和30年には県の観光物産振興のため製法の公開の依頼があり、公開しております。 その感謝状など歴史の証拠などもあります。平成12年9月 登起波牛肉店 店主 |
資料提供 米沢市観光キャンペーン推進協議会 tel 0238-22-5111 米沢市役所 tel 0238-22-5111 米沢市商工観光課 tel 0238-22-5111 (社)米沢観光協会 tel 0238-21-6226 置賜広域観光案内センター(ASK) tel 0238-24-2965 |
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